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有名なものから特徴的なものまで、思考実験を集めて考えました。
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かき氷の中間値問題
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思考実験目次はこちら


【かき氷の中間値問題】

かき氷がどんどん溶けて行くとき、どこまでがかき氷であると言えるか。


これは同一性の問題であり、 テセウスの舟においてコアが連続的である問題や中間性を持つ場合の問題に当たる思考実験だと考えられます。
まず、実は論理的に中間値を明確に定めることができます。つまり、全分子が凍っている場合から考えてそのn%が融解したとき、それはかき氷ではなくなるとして、そのnが1つの値に確定されることが可能だということです。しかしそういったクリスプな基準を設けてしまうと面白くないので、ここではファジーに議論を進めたいと思います。

明らかに「これはかき氷だ」と言える状態から、微小な量の氷が融解したとします。これは微小な変化なのですから、やはり融解した後もかき氷だと言えるでしょう。そうすると、ほとんど全ての氷が溶けるまでこれはかき氷だと言うことになります。逆に、完全に溶けた水の状態から逆算してみましょう。水の状態から少し氷に戻ったとしても、それはやはり「水である(かき氷ではない)」と言えるでしょう。その議論を進めていけば、ほとんど全ての水が凍っていてもそれは水である(かき氷ではない)と言えてしまいます。すると、その中間に当たる部分は「かき氷である」かつ「かき氷ではない」という状況になります。ではこの状態は、一体何なのでしょうか。

この問題を解決するために、3つの前提を提案します。
1:「ほとんど同じである」という関係(≒)に推移律は成り立たない。
2:レンシンクの研究により、人間は微小な変化を認知することが難しい。
3:かき氷の状態は「かき氷である」か「かき氷でない」かだけではなく、カタストロフィー的な状態を取る可能性がある。

1は、ニアリーイコールが同値率でないことなので簡単に証明できます。分かりやすく例を出して証明すると、私とAさんの顔は似ているとします。つまり私≒Aです。そしてAさんとBさんも似ていて、BさんとCさんも似ていて…としていって、かなり先のZさんと福山正治が似ているとします。
つまり、私≒A≒B≒C≒……≒Z≒福山正治ですが、私と福山正治は似ていません。このように、「似ている」という関係を繋いでいっても、最初と最後がやはり似ているとは限らないのです。

2は、テレビで有名になったAHA体験と呼ばれるものが近い考え方だと思います。本来の認知科学の用語でのAHA体験とは違うのですが、すなわち、一部分が徐々に変化していく写真を見ていると、人はその写真のどこが変化したかが分からないのです。しかし、ひとたび最初の状態と最後の状態の写真を見比べれば、どこが違うのか明らかになります。このように、人は微小な変化に気づきにくいのです。

3は、カタストロフィーな状態という言葉の説明をしなくてはなりません。例えば、有る温度の(H2Oと言う意味での)水の状態が液体か固体かということは一意的には定まりません。0度付近で水を徐々に冷やしていけば、氷点下になっても液体のまま存在します。これを過冷却と言うのですが、過冷却水は何らかのきっかけで固体(氷)に変化します。そして氷になってしまった水は、その瞬間にちょっと加熱しても水には戻りません。このような状態の変化をカタストロフィーと呼びます。

今回の議論では、3のカタストロフィーな状態がかき氷の同一性にも適応できると考えます。すなわち、かき氷を少しずつ溶かしていくと、それは人間の認知の中でずっとかき氷の状態を保ちます。なぜなら、人は微小な変化に気づきにくいからです。どう見てもかき氷であるような状態は確かに存在しますが、ある程度溶けるとそれは観察者によってかき氷とも水とも取れる、カタストロフィーな状態になります。これは、その前しばらくがどう見てもかき氷な状態であったということは関係有りません。なぜなら、ニアリーイコールに推移律は成り立たないからです。そしてひとたび何らかのきっかけ、例えば、観察者がふと最初の状態のかき氷を思い出して、記憶の中のそれと現在目の前に見えているそれを比較してしまったなどの際、目の前にあるものの認識がかき氷から水(かき氷ではないもの)に変わります。すると、少し時間を巻き戻してみてちょっとだけかき氷に戻ったとしても、観察者は水だと思って目の前にあるものを見ていますので、その認識はかき氷に戻りません。まさにカタストロフィーな状態です。
かき氷のような連続性のあるものの同一性における中間値問題は、このように記述できると考えられます。

結論として、観察者による比較の仕方によって、それが「かき氷である」か「かき氷でない」かはカタストロフィー的に変化すると言えます。


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