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有名なものから特徴的なものまで、思考実験を集めて考えました。
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移転準備中
ただいま、ブログの移転準備をしています。
移転先も、アドレスは変わらず「shikojikken.com」の予定です。
今はドメイン移行の狭間の状態で、ご不便をお掛けしますがご了承ください。
| [日記] | 14:27 | comments(0) | - | - |
視覚的補完とアモーダル


さて、何と書いてあるでしょう。
多くの方がOOOOLEと読めたのではないかと思います。
文字の上に大きな帯がかぶさっているにもかかわらず、その部分が脳内で補完されてちゃんと見えるというしくみ、アモーダル補完という人間の知覚的性質です。
本来見えているはずのものは『 ( 』こういう図形を横に寝かしたものが8つと、ちょっと縦に長い『 □ 』が1つ、そして『 ¬ 』の向きを変えたものが3つのはずです。にもかかわらず私たちには、これがOOOOLEに見えるのです。
これは、そもそも私たちにとって「見える」とは何か、一体「何を見ているのか」という話題につながり、不可知非実在仮説の根本的な部分に関わってくる概念なのです。
不可知非実在仮説の思考実験で話題にしたのはカニッツァの三角形でしたが、これはアモーダルとはまた違う視覚的補完の原理が働いています。主観的輪郭というやつです。

人間が「見ているもの」の不思議さをちょっと味わった上で、この画像は一体なんだったのかという答えと共に、もう1つの視覚的補完を、記事の続きでお見せしましょう。


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| [日記] | 17:18 | comments(0) | - | - |
サイコロジカル・ゼスチャー
演劇における演出理論の1つとして、マイケル・チェーホフのサイコロジカル・ゼスチャーという考え方があります。演劇では感情表現を心体表現として示すわけですが、その練習段階として「それぞれの感情を表す心体表現」を行うことによって、体にその感情を引き起こさせ、そしてその感情を記憶しようという考え方です。

ふつう人間は、感情表現があってそれに応じた心体表現が表面に現れるわけですが、その逆を行うことで感情を体に呼び出すという考え方で、非常に面白いと思います。
確かに人間は誰でも、テンションが上がると体の動きが活発になり、ふさぎこむと体が思うように動かなくなります。そして、活発に動いているとなんとなく気持ちも晴れやかになるというのも分かる部分があります。それを、演劇の訓練として採用するというのは面白いなと感じます。

感情と体の活動というのは、感情から体だけでなく、体から感情という風にも、相互に関係しているものなんだなぁと思いました。
| [日記] | 13:24 | comments(0) | - | - |
『思考実験』とは?
ふと、私が思う『思考実験』とは何か、という疑問が生まれました。
インターネットで「思考実験」と検索してみると、読んでいてワクワクするような素敵な文章で思考実験を行うサイトが見つかります。私もよくそういうサイトの記事を読みながら、少し不思議な世界に入ってドキドキしています。

しかし、私が行いたい思考実験というのはそういったものとは少しだけ異なっています。
例えば、「物質転送装置」をテーマに思考実験を行うとしましょう。その物質転送装置とは、まあ思考実験では定番のテーマなのですが、送信機に入れたものを原始レベルでバラバラに分解して、その情報を受信機に送り、受信機の方で情報を元に原子からもとのものを再構成する、という仕組みです。

よくある思考実験の場合、この物質転送装置に例えばリンゴを入れてみたとして、別の場所にそのリンゴが現れました……というエピソードを思考してから、さて、このリンゴは同じリンゴが転送されたと言えるのか?とかいう風に思考のプロセスを発展させていいきます。そしてその思考実験では「同じと言える」と結論付けられたとして、それじゃあ例えばその物質転送装置に自分が入ったとして、受信機の方に現れた自分もやはり自分だと言えるのか?と思考を膨らませていきます。こうすると、しばしば前者と後者で結論が変わってしまいます。なぜ違うのか、それでは、今度はネコを入れてみたとしよう……と思考が進んでいくのが、ポピュラーな思考実験だと思います。

私は、思考実験はそうやってエピソードの世界に入り込んでドキドキする不思議な楽しみを味わうだけのものではないと思うのです。そうやってドキドキするのも楽しいのですが……私は思考実験を「哲学的な証明方法のひとつ」だと捉えています。

私の場合はまず、その物質転送装置において「同じであるとはどういうことか」「自分であるとはどういうことか」などといった、基本的なところを定義します。定義が一意的でない場合は「同じであると言うことが、同じ原子が同じ構造で成り立っているということの場合」と「同じであるとは、同じ性質のものによって同じ構造で構成されたものであるということの場合」などと、場合分けして話を進めていきます。もちろん、その場合分けが妥当であるかも検証します。そして、その思考実験のテーマを「物質転送装置」というだけで留まらせず「物質転送装置によって送られたものは同一であると言えるか?」といった、命題に落とします。その命題を証明するにおいて議論されるフィールドも吟味します。例えば、物質転送装置にリンゴを入れる場合は単に同一性の問題なので、同一性に関する基礎事項を定義することで議論できますが、物質転送装置に自分が入るという話になると、そこに自我の問題が絡んできます。当然、同一性に関する定義だけでは議論はできず、自我に関する事項の定義も必要になってきます。
そうして1つのテーマが命題として提案され、それぞれの基礎事項が上手く定義され、それが議論されるべきフィールドが整理されます。このテーマを思考実験という1つの『実験的手法』を用いることによって、その命題の真偽を、まるで自然科学における実験のように『実験的に』証明するのです。この手法が思考実験だと考えています。哲学的な命題は普通は『演繹的に』示されるものですが、ここに『実験的なアプローチ』を見出せる考え方が、私の思う思考実験なのです。

こういったことを踏まえて私の思考実験を読んでいただけると幸いです。
| [日記] | 18:29 | comments(0) | - | - |